武楽座

現代美術家の天明屋尚氏から「神曲 修羅六道」の応援メッセージをいただきました

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現代美術家の天明屋尚氏から「神曲 修羅六道」の応援メッセージをいただきました

現代美術家の天明屋尚氏から「神曲 修羅六道」の応援メッセージをいただきました

2021/10/11

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2006ドイツ・ワールドカップを記念して特別につくられたFIFA公認のアート・ポスターなどでも知られる現代美術家 天明屋尚氏からも応援メッセージをいただきました。

天明屋氏の絵画の、甲冑を着用したモデルをつとめさせていただきました。

 

 

武楽・BASARA・日本美術     天明屋尚

 源光士郎氏とは私の作品のモデルをして頂いたのがご縁で、この文章を書かせて頂いている。鎧兜で合戦をするシーンを描くため、鎧兜を着た3人が絡む場面を多数撮影したのだか、源氏だけが他の2人と明らかに動きが違っていた。全てのポーズがビシッと決まっているのである。さすがだなと感心させられたのを今でも覚えている。
 その源氏が立ち上げた「武楽」は「BASARA」であるといってよい。「BASARA」とは私の掲げる美術概念である。荒ぶる神スサノオ、南北朝期の婆娑羅、戦国末期の傾奇者、幕末の奇想絵師から現代の荒神としてのゴジラまで、日本のストリートに連綿と根づいてきた「華美」にして「破格」の2つの要素を合わせ持った美の系譜であると位置ずけている。侘び・寂び・禅が体現する情緒的な文人気質とは対極にある、祝祭的な武人気質の美の系譜である。武士の原初、始まりは荒くれ者の集まり、つまりストリートから始まった。それが時代と共に洗練されて行き、武士道にまで進化した。「武楽」は華美でありながら、武術や武士道を体現した武人気質の「BASARA」といえよう。
 源氏は武蔵野美術大学を卒業後、紆余曲折あり身体を使う表現形態をとった「武楽」を立ち上げた。領域的には武術や日本伝統芸能であり、日本の伝統に重きを置いている。一見、美術とは異なる領域に感じるだろうが、美の術である事には全く変わりはない。武楽は「美」を身体で表現する武士道でありながら平和的な「術」でもある。さらに、能に武術の激しい動きを加え楽しませるエンタテインメント要素の「楽」も兼ね備えている。
 今回の演目に関連するダンテの神曲に、これまで影響を受け制作された美術作品を数え上げればきりがない。敢えてそこには触れずに、武楽と日本美術の関係性について少し言及してみたい。日本美術史家の辻惟雄氏によれば、日本美術の要素は「かざり」「あそび」「アニミズム」の三つでできていると述べている。その三つの要素が武楽には備わっているといってよいだろう。派手な装飾を纏ったいで立ちの「かざり」、エンタテインメントで楽しませる「あそび」、武士道の精神が根底に根ざした「アニミズム」である。一方、日本美術史家の矢代幸雄は、「印象性」「装飾性」「象徴性」「感傷性」の四つを日本美術の要素として揚げている。武楽は華美な外見の煌びやかな「装飾性」、能や武士道の滅びの美学である「感傷性」の二つを兼ね備えているといえる。さらに、日本美術史家の源豊宗は「情緒性」「平面性」「装飾性(優美)」を揚げている。3人に共通しているのは装飾的な飾りである。私はそれに「かぶく(BASARA)」を日本美術の要素に付け加えたい。武楽にはその「かぶく(BASARA)」要素が多分に備わっている。「かぶく(BASARA)」とは外見の飾りと内面の反骨精神の2つの要素を伴う。源氏の普段着の外見は令和の現代でありながら、着物に袴のいで立ちで丁髷姿。内面は武楽を創り上げた破天荒な創始者である。まさに「かぶく(BASARA)」を体現した傾奇者(かぶきもの)といってよいだろう。
 源光士郎氏のWebサイトには「神楽・伎楽・雅楽・舞楽・猿楽・田楽・能楽・文楽・歌舞伎に続く日本の新しい文化・芸能、それが武楽です。」とある。ここからもわかるように日本の伝統芸能を更新、刷新するのだという自負と気概が私には感じとれる。武楽も今後、歴史となり伝統芸能として継承されて行くに違いない。その武楽の志の高い創始者が創作した公演なのだから、楽しめないはずはないだろう。源光士郎の生き様を見届けよ!

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